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大阪地方裁判所 昭和41年(わ)2238号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

第一、公訴事実

本件公訴事実は、「被告人は、従来実兄甲野太一郎から飲酒の上、何等理由なく殴打される等の暴行を屡々受けていたが、その都度これを耐え忍んでいたところ、昭和四一年五月一五日午前零時頃、○○市○○区○○×丁目×番地の自宅に右太一郎が飲酒の上訪れ、同人から再三に亘り顔面等を殴打され、一旦は戸外へ難を避けようとしたが、同人にこれを阻まれ更に同様暴行を加えられたため、遂に憤激の余り咄嗟に同人を殺害しようと決意し、炊事場から菜切庖丁を持ち出し同人の胸部、右頸部等を突き刺したが、同人に対し加療約三週間を要する右側頸部、前胸部刺創等の傷害を与えたに止まりその目的を遂げなかったものである。」というのである。

第二、認定した事実

≪証拠省略≫を総合すると、

被告人は、私立○○学院高校を卒業した後、○○新聞社に入社し印刷工として働き現在に至った。性格は真面目で家族(母、妹)からも信頼され、家計においても中心的存在であった。体格も常人より優れ、高校在学中はスポーツ好きで相撲部に所属していた。

本件被害者甲野太一郎は、被告人の実兄であり、被告人の肩書住居地の裏手に接して住居を構えていたが、酒癖は悪く、特に被告人の父が昭和三七年に死去してから後は、飲酒後の乱暴が激しくなり、被告人に対しても、理由なく殴りつけたり、熱湯を二度までも投げかけたりする乱暴を働くようになった。

被告人は、このような太一郎の振舞に対し、相手にならずじっと我慢していた。しかし、被告人は、昭和四〇年六月頃酩酊した同人から熱湯をかけられた際、これに耐えかねて太一郎を殴りつけたため、同人との間に掴み合いの喧嘩となったことがあり、その時以後太一郎が被告人に対し殴打等の乱暴をしたり、母や、妹花子等に対し、怒鳴り散らしたりすることが、一層激しくなったので、被告人は二度と太一郎に手出しはすまいと決心するようになったが、太一郎の被告人等に対するこのような態度は一向に改まらなかった。

被告人は、昭和四一年五月一三日は深夜勤務につき、翌一四日午後五時半頃に夕刊印刷を終えて帰宅したが、同一一時半頃、母と妹が銭湯に行った後、前日の深夜勤務のため睡眠不足気味であったことや、翌日の勤務のことを考えて、奥四畳半の間で、就寝しようと布団に横になっていたところ、太一郎が泥酔に近い状態で来合せ、家に入り込むなり被告人の頭部附近を殴打し、寝床に入て横になった被告人を足蹴りする等し、更に「この家のものみんなこわしたるわい」と言いながら、茶碗を土間に投げつけたりした上、被告人が太一郎の暴行を防ぐため布団の上で上半身を起こして、前かがみの姿勢をとると、その頭部、背部更には顔面部等を殴打し、殴り疲れると、隣の二畳の間に行って一息入れては再び、被告人に殴りかかるなどの暴行を続けた。被告人は、もう少し我慢すれば、母や妹が銭湯から帰って、兄の乱暴を止めてくれるものと考えてこれを耐え忍んでいたが、同日午後一二時頃、遂に、翌日出勤のことを考えて、会社の宿直室にでも泊めてもらおうと思い裏口から出ようとしたが、太一郎の妻が不在のため、同人方を通り抜けて道路に出ることができず、そのため被告人宅の玄関に廻って出ようとしたところ、太一郎が被告人の靴を放り投げる等してこれを妨害した。被告人は、同人に対して手出しをすると、以前のように一層同人の乱暴が激しくなり、母や妹にも迷惑がかかると考えて、太一郎に手向ってはいけないと決心し、同人の右の如き妨害を敢えて振り切って外に出ようとすることもせず、同人に押し返されるまま再び四畳半の間に帰り布団に横になった。そして被告人が太一郎に帰宅を要求したところ、同人はまた被告人を蹴りつけ、更に茶碗を投げつけ、立ち上った被告人を殴りつける等した後、二畳の間に引き返した。そうするうち、太一郎が被告人に対し「誰がお前を学校にやった、大きいしたんじゃ」などと絡んできたので、被告人は「親にしてもろたんや」と返答したところ、太一郎は再び二畳の間から被告人のいる四畳半の間に向ってきたが、その勢いで間仕切りのガラス障子が倒れた。

ただならぬ気配を察知し、興奮した被告人は、流し場に走り庖丁差にあった刃渡り約一二センチメートルの菜切庖丁(昭和四一年押第八二七号の一)を手にするや、太一郎に向って行き、右庖丁で、同人を突き刺し(ただし、被告人が庖丁で刺したという点は外形的事実が認められるに止まり、被告人に庖丁で刺す意識がなかったことは第三説示のとおりである)公訴事実記載のとおりの傷害を与えた。

被告人は、太一郎の「助けてくれ」という声にハッとして見ると、倒れた太一郎の上に乗りかかっており、同人の頭部付近の流血を見て同人を殺したものと思い込み、直ちに裸足で血のついた右庖丁を手にしたまま、五月一五日午前零時二〇分頃、西成警察署旭通五丁目派出所に自首し、現行犯人として逮捕された

事実を認めることができる。

第三、被告人の責任能力について

一、被告人は、第七、八回公判調書中の供述部分によると、流し場に庖丁をとりに行った時点から、喜代治の「助けてくれ」という声にハッとして気付くまでの間、自分が何をしたのか全く記憶がないと供述しており、弁護人は、被告人に右のような記憶の欠損がみられるのは、被告人が右行為当時一過性の意識障害に陥っていたためであると主張している。しかるに被告人の捜査官に対する各供述調書には本件行為の動機、殺意、あるいは行為の態様を詳細明確に供述した旨の記載があって、かりに右各供述調書の記載が信用できるものとすれば、被告人には本件行為当時何ら意識障害はなかったものと認めざるを得ない。そこで、被告人の右公判廷における供述と捜査官に対する供述のいずれが信用できるかを検討する。

1  被告人は、性格テスト等の結果によれば、ある道徳標識に従って自我をコントロールしながら行動出来るかなり高度の人格形成と、知的水準の高さを示し、全般的な物事を抽象的又は具体的に把握するという綜合的能力を有している一方、かなり、細部まで思考諸観察が届くという強迫的性格を有していることが窺われる(≪証拠省略≫)上、社会生活や、家庭生活における態度も誠実且つ真面目で、勤務先や家族の信頼も厚く(≪証拠省略≫)又幼少よりキリスト教を信仰し、本件行為に対しても強い罪悪感を有し深く反省している様子が窺える(≪証拠省略≫)。そして、被告人が太一郎を刺傷したという外形事実は、前記認定のとおり明らかに認められるところであり、被告人においても又これを認めていること等を総合して判断すると、本件行為時の記憶はない旨の被告人の弁解は、一概にこれを罪責を免れんとするための詐言であると断定することはできない。

2  証人阪口起造の第一二ないし第一六回公判調書中の供述部分によると、人間の記憶は、外部の印象を了識すること(了識)、それを精神のなかにつかむこと(記銘)、それを心の中に刻み込んで持ち続けること(把持)、それを思うときに出すこと(再生)という構造を有しているが、被告人の場合は、本件行為について記銘が極めて不完全であったために記憶がなかったものと考えられるというのである。

即ち、同証人は、健忘を大別して、重い頭部外傷等の器質的過程のために記憶の素地が破壊されて記憶がなくなってしまう場合、否認しようとする機制のために思い出せないという詐病に近い場合、自己の自我を脅やかす不快な体験を意識下に抑圧してしまうため再生のみの障害が起きる場合(心因性健忘)および何らかの意識障害によって記銘力が犯される場合の四種類に分類し、被告人が本件刺傷行為を想起できない原因が右のいずれによるものかについて検討を加えているが、まず被告人については本件当時記憶の素地を破壊するほどの頭部外傷はなく、又その応接態度よりみて詐病的傾向を見受けられないとしている。次に、同証人によれば、右の心因性健忘について記憶の退行、復活(再生)をはかるためには、その操作が良好であれば、催眠分折がその最も有効な方法として一般に考えられているところ、同証人が被告人に対して行った催眠分折によると、被告人については、催眠中の態度などからみて感情転移がかなり奏功して退行状態がかなり確実に推定できたにも拘らず、捜査段階では現われなかった「兄が服掛のようなものを持ってかかってきた。こわいと思って流し場の方に走り、すりこぎか庖丁のようなものをつかんだ気がする。」との供述は得られたものの、それ以後被告人が太一郎の「助けてくれ」という声を聞いて気ずくまでの間の本件刺傷行為時の状況については、記憶の再生をはかることができなかったというのである。そこで、同証人は、催眠分折によっても記憶の再生ができなかったところから、被告人が本件刺傷行為を想起できない原因が心因性健忘によるものとは考えられないと判断している。従って、同証人は、被告人は脳波所見からみて意識障害に陥りやすい生物学的要因をもっており、事件当時は、夜勤明けによる睡眠不足に加えて太一郎から長時間にわたって暴行を受けたため、これが過去において、同人から何回か類似の暴行を受けた体験と相俟って意識障害、いわゆる驚愕体験反応ないしは原始反応を惹起し、了識能力あるいは記銘力が犯されていたか、少なくとも記銘自体が極めて不完全であったと考えられるとし、これが原因となって本件刺傷行為を想起できないのではないかと推論している。

又、証人浅野楢一は、イソミタール・インタビューによっても被告人の本件刺傷行為当時の記憶の再生は実現できなかったが、その原因は、被告人が本件行為時に情動性の意識障害をきたしており、この意識障害は主として心因性のものであるが、従として脳波所見および薬効学的検査等によって認められる被告人の類てんかん性素質および自律神経失調傾向という生物学的素質が加わって惹起されたものであり、そのため記銘自体に障害が存したと考えられ、又、被告人は、同証人に対して誠実真面目に応接し、詐病的傾向は存しなかったと証言している。

3  被告人の警察官に対する各供述調書には、被告人の本件刺傷行為の動機、殺意、態様等について、詳細且つ具体的に、しかもかなり確定的な記載がなされているが、そのうち特に、殺意については「殺してやろうと決意し」と、刺傷部位については「頸部付近や体を数回に亘って……突刺し」(昭和四一年五月一五日付)、「この時兄さんは何か下を向いて持とうとしていたのか腰をかがめたような姿勢でしたので私の突き上げた庖丁は胸の付近に刺ったと思います」(同月一七日付)と記載されているのに対し、検察官に対する供述調書では、殺意について「兄を殺してやろうというはっきりした気持があったわけではありませんが、その時は夢中で、どうなってもかまわないという気持でした。」と記載され、刺傷部位については特に被告人の認識したとされるところのものは記載されていない。このような記載の変遷と、右検察官調書が、被告人の供述調書中、被告人の本件行為時の状況について最も詳細な五月一三日付警察官調書の後に作成されたものであること等を併せ考えると、右の如き記載の変遷の理由は何か、被告人の記憶するところがその自発的供述に基いて正確に記載されたものであるか等について疑問を生ずる。

又前記五月一七日付警察官調書には、被告人の刺傷行為の動機、庖丁を取りに行った状況、太一郎の姿勢その他について、詳細な記載がなされているが、このように状況をよく認識しうる程の冷静さを有していた被告人において、右行為後、血液の付着した本件庖丁を持ったまま、そのことに気づかないで、裸足で派出所に自首したという行動は不自然である。又右のように冷静な観察をなし、しかも明確な殺意を有していた被告人ならば、体格的にも優れているのであるから、泥酔状態にある喜代治を容易に押えつけて十分殺害しえたのではないか等の疑問が生ずる。

4  被告人において、その記憶が欠けていると述べている部分は極めて短時間の出来事であって、被告人は、本件刺傷行為直前にも太一郎から執拗な暴行を受け、しかも太一郎の助命の声に気づいて見れば、自分は倒れて出血している同人の上に乗りかかっており、手に庖丁を持っていたこと等の事実を認識しえたというのであるから、被告人が記憶のなかった部分を自己の推測で埋めることは容易であったと推察され、しかも自首してでた当時被告人は太一郎を刺殺したものと思い込み、その罪悪感に堪ええない状態にあり、これまで周囲の人々から受けていた被告人に対する高い評価が一挙に崩壊したという自棄的気分に陥っていたこと、他方捜査官にとっては、被告人が血液の付着した庖丁を持って「兄を殺した」と言って自首してきたこと、負傷した太一郎を確認して(被告人が自首した直後、本件現場に赴いて太一郎を確認していることは現行犯人逮捕手続書によって明らかである)、その傷害部位を知りえたこと、被告人に、日頃庖丁の置いてある場所を問うことにより、又その後においては実況見分時に確認することによって、本件庖丁の所在を知りえたこと等を考え合わせると、被告人は捜査官に誘導されるままに記憶のない部分についても、自己の推測を加え捜査官に迎合して供述したのではないかという疑いを拭い去ることはできない。

5  以上のとおりであるから、前記捜査官の各供述調書中の被告人の本件行為時に関する記載部分は、その信憑力に疑をさしはさむ余地のあることは否定できないものというべきであり、被告人の公判廷における供述のとおり、本件刺傷行為については、被告人の記憶に欠損があるものと認めざるを得ない。

二、被告人において前示のとおり本件行為について記憶の欠損があり、それは、阪口、浅野の証言によると一過性の意識障害があったためであると認めることができるが、以下にその意識障害の性質程度を検討し、本件行為当時の被告人の刑事責任能力の存否について判断する。

前記一、2に摘記した如く、証人阪口起造は、被告人は元来意識障害をきたしやすい精神的、機能的要因を有しており、これに、太一郎よりこれまで、何回か暴行を受けたり熱湯をかけられたりした体験を有していたことの心理的条件と、本件行為前にも同人から約三〇分に亘る暴行を受け、特に後頭部をも殴打されていたこと、夜勤明けのため睡眠不足気味であったこと等の生理的条件が複合的に作用して驚愕体験反応と、原始反応中の爆発反応を惹起し、そのため本件行為時には意識の混濁をも伴った意識障害を起こしていた疑いが多分にある旨証言し、証人浅野楢一は被告人の類てんかん性素質および、自律神経失調傾向という生物学的素質と、夜勤明けによる睡眠不足、本件行為前に同人から受けた長時間の暴行という生理的条件とが準備要因となって、長期間の感情的なうつ積の暴発を起こし、そのため、本件行為時には、一過性の意識障害を起していて、この意識障害は、心因性の意識野の狭窄が主であるが、前記の生物学的要因が準備的に作用しているために意識の混濁を伴った意識障害であったことも十分考えられると証言している。

そして被告人の、血液の附着した本件庖丁を手にしたまましかもそのことにさえ気づかず、太一郎の助命の声を記憶していながら既に殺害したと思い込んで裸足のままで派出所に自首したという本件行為後の行動は、平素の被告人の性格、人格からはかけ離れており、被告人が意識の混濁をきたしていたのではないかとの疑問を一層深くする。

ところで、右阪口、浅野両証人の供述によっても、被告人にはてんかんや、器質性の脳障害、精神薄弱、精神病、異常ないし病的なアルコール酩酊等の身体疾患は見出されず、かえって、被告人は高度の人格形成と、知的水準の高さが認められるところ、正常な人間のいわゆる「正常な」情動による犯罪行為(激情犯)は、たとえ行為者に意識野の狭窄による意識障害があっても、意識は清明であるから、狭窄した範囲で事象の認識とそれに従った是非の弁別と自己の行為の統御が可能であるため刑責の免除を許すことはできないと考えられている。蓋し、このような場合においても免責を認めることは、社会秩序の維持を使命とする刑法の一般予防作用を否定することになりかねないからである。被告人は本件行為当時意識野の狭窄をきたしていたに止まらず、意識の混濁をきたしていたという疑いが濃厚であること前示のとおりであるが証人浅野の供述によれば、それは、主として心因性のものであることが明らかである。ところで、意識障害を惹起した主要因が身体疾患(体因)に起因する場合に責任能力を否定することは容易であるが、他方、心因性の全ての場合に刑事責任を追及することは却って妥当を欠く場合がある。即ち、行為者において自己の統御能力の全く及ばない原因によって意識混濁を伴う意識障害を惹起した結果出た行為にまで、行為者の責任を追及することは酷であり、このような場合には、意識障害を惹起した主要因が心因性のものであっても、体因性の意識障害=身体疾患による行為と同等の扱いがなされるべきであると考える。身体疾患の場合には行為時の意識障害、従って責任能力について心神喪失という判断を担保しうるものがあるが、心因性意識障害の場合もそのような担保と同価値を有しうる要因が存すると判断される例外的な場合には、同様に考えて差支えないからである。従って、意識障害を惹起した主要因が、心因性のものであっても身体、精神両面の医学的検討により体因性意識障害と同等に評価しうる要因(これは「医学的布置因子」「生理的布置条件」と呼ばれている―武村信義「情動行動と責任能力」植松博士還暦祝賀、刑法と科学―心理学医学編二八二頁)の有無が検討されねばならない。そして、このような要因として中毒、脳器質損傷、重い体質異常等の「医学的布置因子」、睡眠不足、疲労等の「生理的布置条件」が指摘されている(武村信義「情動行為の刑事精神鑑定」犯罪学雑誌二九巻一号三四頁)。

ところで、証人阪口、同浅野の両証言によると、被告人は本件行為当時情動(心因)性意識障害の状態にあったものであるが、その準備的要因として、「疾病」とは言えないが、類てんかん性素質、自律神経失調傾向という生物学的要因と睡眠不足という生理的要因、過去に太一郎からしばしば乱暴を受けた体験による感情的うつ積という心理的要因が存したために、同人から約三〇分に亘り継続して執拗に、その場より逃避しえない状態で頭部等に殴打等の暴行を受けて(この点は一面において相当の疲労を伴ったものとして生理的要因とも考えられる)意識混濁を伴った意識障害に陥っていた疑いが多分に存することが明らかである。そして、本件犯行当時、右に挙げた生物学的要因と生理的要因が存在したことは証拠上明白であり、当裁判所は、これを「医学的布置因子」ないしは「生理的布置条件」として重視すべきものであると考える。

浅野証人も、右のような「医学的布置因子」「生理的布置条件」の存在によって、被告人が本件行為当時是非善悪の判断能力を全く欠如していたということも十分ありうると証言している。

従って、当裁判所は、被告人には、本件行為当時責任能力について、心神喪失ではなかったかとの合理的疑いがあり、本件全証拠を検討してみても、被告人が本件行為当時責任能力を有し、或いは責任能力が心神耗弱の程度に止まっていたと認定することはできないものと判断した。

三、以上の理由により、本件は「被告事件が罪とならない」場合にあたるから刑事訴訟法三三六条前段により、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松浦秀寿 裁判官 井上広道 竹中省吾)

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